140字の俳句

黒ネクタイの小鳥,四十雀が早朝からしきりに囀っている。

 

四十雀の雄は健気だ、小さな体の何処から

あんなに通る声が出るのだろう。

懸命にテリトリーを主張している。

 

近年、人間様は男女の役割を巡り尽きない論議を繰り返して来たが

四十雀の雄雌にそのような迷いは無い。

 チッチェーと聴こえる今朝の四十雀

 

追記 四十雀は関東では三月下旬になると巣作りを始め、

   五月中頃巣立ってゆくが、個体によっては二回目、三回目の

   繁殖を行うそうだ。

   すると今朝啼いていたのは二回目の準備という事になろうか、

   ご苦労様です。

   四十雀の二回目、三回目のお相手が同一かどうかは調べ忘れた。

   

 

 

140字の俳句

東京湾の奥まった場所でも季節になると皐月波が立つ。

 

等間隔に波立ち、一緒に走り行く姿はこの季節ならではの光景である。

それぞれの波頭は強風に吹き千切られ、白髪を振り乱しているようだ。

南寄りの強風が続くと海底の砂が掻き回されて、豊穣の海となる。

自然は凄い。

  皐月波砕ける波頭追掛けて

 

追記 皐月波は卯波とも言われる。波の白さを卯の花の色に例えたそうだが、

   卯の花と言えば〝おから”を連想させる。

   栄養価の高さで知られる〝おから”だが、豆乳よりも其の搾りかすである

   〝おから”の方が食物繊維だけでなく、タンパク質も多いと知って驚いた。

140字の俳句

房総半島の山並みは今、様々な緑に彩られている。

山肌を埋める木々は椎、樫、楠、椿等。

 

それぞれの葉の緑は微妙に違う。

わけても椎の類はモクモクと雲が湧き上がるように

若葉を繁らせ、まるで若葉同士が力自慢をしているみたいだ。

楠も美しいが盛りは過ぎた。

 

 椎若葉抑えきれない力瘤

 

追記 この時期房総半島を車で南下すると、前方の山々は

   微妙に異なる緑色のモザイク模様である。

   一帯はヒマラヤから中国南部の雲南を通り、西日本

   そして房総半島に至る照葉樹林文化圏を形成し、茶葉

   や米麴による酒造など多くの共通した文化要素を持つ

   そうだ。

 

 

 

 

 

140字の俳句

小型タンカーと言っても船の長さは30米くらい有る。

荷を満載して船体は沈み、如何にも重そうである。

その分,岸に打寄せる引波は激しい。

 

川辺で竿を振る釣り人は次々に襲う波に身構えている。

昨日の大雨で川は茶色く濁り、タンカーに引き摺られるように

海へ流れ出て行く。

 五月雨の海へ突出す泥の河

 

 

追記 泥に濁った江戸川の河口付近では、この日も川鵜が餌を漁っていた。

   目測すると鵜は30秒近く潜り、5秒ほど息を整えると再び潜る所作を

   繰り返している。泥にひどく濁った水も問題にしていない。

   鵜に限らず動物には人間の持たない能力が備わっている。

   

   

 

140字の俳句

枯蘆の原に緑が帰ってきた。

既に七割近くは枯色から若い緑に代わっている。

 

生あるものの輪廻である。

暫くすれば枯れた親の背丈を若蘆が追抜き、

新しい世代が一帯を席捲する。

 

我々ホモサピエンスの脳はこの様な現象を好ましく思うように

プログラミングされているのだろう。

 

 若蘆を見守るやうに去年(こぞ)の蘆

 

追記 春は蘆の角(つの)に始まり蘆若葉、蘆の種、蘆の花、そして

   枯蘆等々一年を通して蘆の季語は存在する。 中でも

   ユーモラスな蘆の角は三月ごろ水辺にニョキニョキ頭

   を出す蘆の新芽を指すが、新芽はその後急速に丈を伸ばし、

   去年の蘆は消えてゆく。

 

 

 

 

140字の俳句

車輪梅は海辺を好む。

梅に似た小振りな五弁花を五月の浜風に揺らし、

辺りに淡い香りを放っている。

 

ひと気の無い岸壁の隅っこの、コンクリート舗装の割れ目に

しっかり根を下ろし、海風に耐え波しぶきにも耐え、

 

誰にも知られず、誰にも媚びず、一途に可憐な花を咲かせている。

 

 あれやこれ迷う事無く車輪梅

 

 

140字の俳句

斜面を覆う‶つばな”の群生。

 

江戸川の土手は今‶つばな“の最盛期を迎えている。

昔は子供達が若い花穂を口に入れて甘味を楽しんだ

と言うが、今の子は殆どその事を知らない。

 

腰を降ろして目線を下げると、土手の斜面全体が

つばなの白い花穂に塗り込められてしまう。

 つばなの穂土手の斜めを一色に

 

追記 実際に若い花穂を口に放り込んでみたが、微かな

   甘さを感じる程度だった。砂糖の普及は人の幸せ度を

   本当に高めたのだろうか ?